
HISTORY
たからの窯の歴史

陶芸体験教室として使われている小屋に登り窯が鎮座しています。この窯は昭和10年頃、女性陶芸家である久松昌子氏によって築かれたものです。
ろくろ廻しの名人と言われた小城久次郎氏が窯場に住み、久松氏は東京から通い活動されていました。朱の地に白と金で細かい花模様をなした鉢などゴージャスな作風でしたが、戦争により陶芸活動は一時中断しました。
その間、窯のある建物は日本のバレエの先駆者、東勇作(あずま・ゆうさく)氏の稽古場として使われていました。昭和2年、鎌倉でエリアナ・パブロバの内弟子となり、昭和10年に独立して「東勇作バレエ團」を設立。昭和16年、東劇で『レ・シルフィード』『牧神の午後』など、日本で初めてのクラシック・バレエの上演を行ったことで知られています。また昭和21年8月、『白鳥の湖』の日本初演時には王子役をつとめました。
戦後、仕事を再開した久松氏のもとには日本の陶器に興味をもった外国人が多数訪れました。昭和21年には、画家の藤田嗣治(ふじた・つぐはる)氏の訪問を受け、フランス風のディナーセットの製作を請け負ったそうです。
昭和24年から彼女自身も当地に移り住み、さらに製作にいそしまれました。海外に輸出された製品も多くあり、昭和32年には全国貿易展で受賞。また第一回米国世界見本市にジェトロ選定品として出品するなど、国際的な舞台でも活躍されました。
昭和30年代には、入口の赤レンガの煙突の下にも窯があったようで、小城久次郎さん含め5人の職人さんが働いていました。久松氏は量産を求められても、ホームメイドでアーティステッィクな製品であることにこだわっていました。作品には、当地でとれた土を釉(うわぐすり)としてかけた壺などもあったそうです。
※参考文献:
婦人之友社 昭和33年八月号「陶芸の美にひかれて〜工房での久松夫人の半生」
その後、継がれることのない古家を、平成21年浄智寺の朝比奈和尚から依頼された「鎌倉古民家バンク」がこの家を再生し、鎌倉の文化やアートの発信拠点として活用されるようになりました。
歴史ある窯小屋は復活し、今では年に2回ほど窯焚きをしています。
鎌倉の谷戸から空に向かって煙がのびてゆく、この同じ風景を久松さんも眺めていたのでしょうか。





